2012年03月11日

京希、1年前被災した場所へ行く、の巻。

あの日から、今日で1年が過ぎました。

長かったような、短かったような。

遠近感が崩れるのに似ていて、
衝撃的な出来事が一つあると、
前後の些細な記憶は、
まるでそれ以前の出来事のように認識してしまうのではないかと
衒学ですが、考えています。

それでも、
時間と言う我々が使っている概念に照らし合わせれば、
間違いなく1年経過しているわけで、
僕はその混沌とした、
気持ちの整理の出来ない1年間を、
今日までどうにか過ごしてきました。


様々な事を感じ、
様々な事を考えた1年で、
その間、
僕はいろいろな人に会い、
いろいろな人の考えに触れ、
その都度、優しさや、厳しくも温かい言葉を頂戴し、
励まされ、前を向き、今日までやってこれたんだと思うのです。


しかしながら、
その一方、
人の心の優しさに触れながらも、
自分の心の奥底では、
こんな事を書くと怒られてしまうかも知れませんが、

「僕は生きていてもいいのだろうか?」

という自問自答を繰り返していたのもまた事実で、
それは一つ、大きな悩みでもありました。


僕にはこの先、何ができるのか?

自分の進んでいる道は正しいのか?

生きる事の意味を、僕の存在理由を、今も模索しています。



今日、1年前被災した時間と、
同時刻、僕は1年前と同じ場所に立って、
そこで黙祷をしてきました。

静かに、本当にその1分間だけ、
不思議と町が沈黙して、
だから、
この1年間の想いや、気持ちや、
見聞きした事が胸の中に溢れかえってしまい、
失恋したみたいに張り裂けそうな痛みを感じました。


忘れない為に、
そして忘れる為に、
僕はそこに立っていたんだと思います。

120311_1447~001.jpg

この1年、
心のどこかで僕は、
ブレーキがかかっていました。

楽しい事をしてはいけないのではないか?

何かを始めてはいけないのではないか?

自分の中の弾けそうな気持ちと、
そうした気分が拮抗して、
雁字搦めでした。



でも、それも今日でおしまい。

受け止めて、風化はさせないようにして、
僕は一歩、前に進みます。



今は只、感謝の気持ちでいっぱいです。

あの時助けてくれた人、
その後無性に人に会いたくて、会ってくれた人、
迷いながらも続けてきた活動を見守ってくれた人、
みんなみんな、
どうもありがとう。




願わくば1日でも早く、
被災地が復興しますように。

posted by きょうきりん at 15:57| Comment(0) | 京希の沙汰日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。