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弐ノ二
遅く通学した事で、千里子はちょっとしたヒロインとなった。
しかしそれも束の間の事。
すぐに退屈を知らせるチャイムの音が鳴り響き、教室を支配する。
一方、縛られる事のないカイは、授業中で返答できない千里子を、教鞭をとる先生の真横で踊る等して笑わせたりと、少しからかった後、教室を後にした。
行くべきところがあった。
ずっとずっと匂うのだ。犬の様に効くカイの鼻は、とりわけ同種の存在に強く反応する。いる。間違いない。この寺小屋には、自分の他に妖怪がいる。
くんくんと鼻を鳴らして、匂いの道しるべを辿るようにして階段を降りた。その先には『保健室』がある。妖怪の気配はこの中からだ。カイは物怖じする事なく堂々と、真正面から侵入する。
「頼もう!」
中には真白い服を纏った女がいるだけだ。女が振り向く。そして目が合う。
「振り向いたって事は、オレが見えるって事だな?」
カイの赤い髪の毛が、燃えるように逆立つ。好戦的な目で笑う。
「見えてないって言いたいとこだけど、残念ながら見えちゃうのよね〜、これが」
相手は保険の先生・猫垣高子である。
「人間に化けてるが、人間じゃねえな、お前」
「もー、あんた鼻が良すぎよ。犬みたいで嫌い。会話聞かれちゃうから、後ろの戸、閉めてくれない?」
そういうと猫垣は椅子に座り、足を組み直す。肉付きの良い太もも、短いスカート。猫のような動作。あまりにセクシーな動作だったので、カイは何だか拍子抜けと照れの感情が去来して、急に戦意が失せる。
「ぉ、おう」
それで素直に戸を閉めて、さてどうしたものか、何だか知らねえが勢いを削がれちまったぞ、と、困惑しながら踵を返し、もう一つあった椅子に「まだ自分は態度を軟化させていませんよ」という姿勢をアピールするかのように、荒々しく座り腕を組んだ。
「お前何者だ」
「おひさしぶりね、塵塚怪王」
二人の台詞が食い合う。タイミングが悪い。お互い未だ距離感を掴めていない。それでも、カイは強気なところを見せ、話を進める。
「え? なんだ、お前オレの知り合いか?」
「そうよー? 300年ぶりぐらいかしらね」
カイはくんくんくんくんと鼻先を近づけ、猫垣先生の体臭を嗅ごうとするが、何か不純な香りが混ざり合い、良く分からない。
「ふふん。あなたの鼻をごまかせるんなら、この特性香水の効果は抜群ってところね」
最初から上がり気味の、猫の口角を更ににんまりと上げて、先生は微笑む。
「シャネルの香水に、妖力を薄める霊水が混ざっているのよ。私本来の能力も薄まっちゃって、人間に化けるぐらいしかできなくなっちゃうけど、同業者と、私たちを祓いたいっていう連中の目は背けるわ」
「お前、もしかして、五徳猫か?」
話し方でピンときていた。
「あらご明察、わかっちゃった?」
「嗚呼。だが驚いたぜ、世捨て人のお前が、ガッツリ人と絡んでるどころか、人に交わって人として生きてるなんざな」
博識で有名だった信濃前司行長(『平家物語』の作者)は、ある時、『秦王破陣楽』という4人で踊る舞の踊り方を忘れてしまった事から、「五徳の冠者」とあだ名をされる事になったという。『秦王破陣楽』は別名「七徳の舞」と呼び、そこから二徳を失ったという訳だ。その事で世間に嫌気がさし、行長は遁世してしまった。五徳猫はこのエピソードと、古来から五徳は付喪神として化けるという謂れ(『土蜘蛛草紙』には五徳牛とでも言うべき、五徳と牛が合体した妖怪が登場する)を合わせて誕生した妖怪との説がある。

『土蜘蛛草紙絵巻より五徳を冠に抱いた牛の妖怪』
ちなみに五徳とは、やかんや、金網を火にかける時に乗せる台の事で、火と関連する事から古来より、呪術に用いる道具としても知られている。かの有名な「丑の刻参り」では五徳を頭に載せ、そこに蝋燭を刺して行われる。
そういう訳で、古来より五徳は妖怪と関連の深い道具とされ、牛と合体したり、または五徳そのものが妖怪化したり、五徳猫のように猫と合わさったりする(五徳猫風の妖怪の初出は室町時代の妖怪画『百鬼夜行絵巻』であるが、五徳猫の名称は1784年(天明4年)に発売された鳥山石燕の『百器徒然袋』が初と思われる)。
「そりゃねえ、300年も生きてたら考え方も変わるわ。人を避けるのも、人と一緒にいるのも結局は同じ事ってわかったしねぇ」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
「しかし女に化けるってのは良い方法だったな。ところでお前メスだったか?」
「300年も生きてから、そんなのもうどっちだって良いのよ。それに、こっちの方が人間として生きていくには、いろいろ都合がいいしねぇ」
カイは気配に気が付き、妖力を最小限にした。突然ガラガラと人間が入って来たのだ。
「猫垣先生! おりますか!」
「あら〜? 権田先生いらっしゃい。どうかされました?」
巨大な権田と呼ばれた男は、その後、どうやら五徳猫を食事に誘おうとしたが、軽くあしらわれて大きな体を小さくして帰って行った。
「なんだありゃ?」
「うふふ。私のファンってところかしらね」
妖怪は忘れられては生きていけない。消え去って存在がなくなってしまう。そうならない為に生きる方法は、カイのように特定の誰かの心に憑りつくか、五徳猫のように人間として生きて、関係する人間たちが向けてくる感情を糧として生きていくしかない。恋愛感情を向けられるのも、立派な生きる手段なのだ。
「なるほどねぇ」
「それはそうと王様、あなたもだいぶ、見た目が変わったわね」
「お。おうそうだ。オレがどうしてこうなっちまったのか、心当たりはないか?」
「あなた、300年前、ええっと、正確には278年前ぐらいかしら。船月堂と一緒に妖怪退治していたじゃない?」
船月堂……船月堂……。
「何よその顔??? あんたもしかして、記憶にないの??」
「いや、復活してから実は記憶がほとんどないんだ。自分が塵塚の王だって事とか、そういうのは覚えてるんだが、何故こうなったのか、そういう記憶がない。だから文車を探してるんだが」
「あら文車ちゃん! 懐かしい! みんな一体どうしてるのかしらねぇ。文車ちゃんの事覚えてるなら、船月堂の事だって思い出せる筈よ」
そうだ……オレは、昔、ただ単に塵塚の怪と呼ばれていた。俺はただ無尽蔵に塵を捨て続ける人間どもに悪さをして、ただ暴れるだけの妖怪だった。そこに、あいつが来たんだ。ひょろひょろとしたやつで、隣に小娘を連れて……。
それが、船月堂と文車妖妃だった。
あいつはオレに「王になれ」と説いた。
「ゴミはゴミでも、燃えるゴミであればいい」と言った。
そうだ思い出してきたぞ。俺はあの日、塵塚の王になったのだ。
だが、肝心な事が思い出せない。
何故自分が封印され、この姿で復活したのか。思い起こそうとしても、霧がかかったみたいに何も見えない。
真剣に思案し黙り込んでしまったカイに、五徳猫が声をかける。
「まぁ、私と会った事で何か思い出せたんなら、他の付喪たちに会ったら、もっと思い出せるかもね。それこそ、文車ちゃんとか」
「それもそうだな。おい五徳猫、お前他にあの頃のあいつらの居場所、知らないのか?」
「そうねぇ。みんな散り散りになっちゃって、最近は音沙汰もないわ。でもね、例えばだけど、あなたが復活した場所とか、そういう場所を当たってみたら? 何か手がかりが残ってるかも知れないわよ?」
そういって五徳猫は悪戯っぽく笑うのだった。
夢のうちにおもひぬ(1)
佐野豊房は、所謂見える人だった。
感受性が豊かで、人の心が生み出す怪異を実体として観る事ができた。
1732年、享保17年。閏年。大飢饉が起こり、江戸の人々は飢えに苦しんでいた。後に享保の打ちこわしと呼ばれる暴動が起こり、人々の心は荒みきっていた。
当時20歳(18歳との説も)の豊房には、町中に蔓延る餓鬼の類、魑魅魍魎が徘徊する世界が見えていた。
自身もひもじかったが、そういう時こそ豊房は本を読んだ。『徒然草』を愛読し、いつかこの酷い世界から、自分が大好きな、風流を愛する世界になる事を夢見ていた。
ある日の事。
豊房の元に少女が訪ねてくる。身なりから察するに百姓の子という訳ではなさそうだ。豊房は幕府御坊主の家系なので、案内を頼む者かとも思ったが、どうやらそういう訳ではないらしい。
「私は、ふみと申します。あなたにお願いがあって参りました」
父ではなく、自分に用だと確かに少女は言う。その、どこか神聖な、上級者っぽい、言わば紫式部の後輩っぽい雰囲気は、無下に断る事もできない様子だったので、豊房は彼女を屋敷に通した。
聞けば、彼女は妖怪の類で、書簡に託された想いが変化したものなのだと言う。
普通ならにわかには信じられない事だが、豊房はそもそも見える男であり、ついに自分にも怪異が訪れたかと、内心わくわくしていたのである。
「それで、私は何を?」
「妖怪退治をお願いとうございます」
「妖怪退治? 莫迦を言ってはいけません。私には妖怪を倒す剛力もなければ、殺める方法も知りません。どなたかとお間違えではないでしょうか?」
しかしふみは頑なに豊房しかありえないのだと諭す。
「豊房様も、今のこの世の状況は良くご存じでしょう。飢饉に人々は飢え、心は蝕まれ、世間には悪鬼があふれかえりました。これを起こしている原因となる妖怪が存在しているのです。私はある陰陽師にお仕えしておりましたが、その妖怪に敗れ、私に最後の言葉を託されたのです」
まさかその陰陽師の占いで自分に白羽の矢が立ったのだろうかと豊房は困惑する。しかし、そういう訳でもなさそうだった。
「かの方は仰りました。塵塚の怪を味方にし、妖怪退治をするのだと」
「塵塚の怪? どうやらそれは某ではないようですが」
「はい。塵塚の怪は、江戸の外れにある塵塚で生まれた妖怪です」
「あぁ、あそこか。あそこなら何か妖怪が生まれてもおかしくはないですね」
飢饉による死者を塵塚に集め燃やしたという話を聞いていた豊房は納得した様子だ。
「一度行ってみたのですが、暴れるばかりで話を聞こうとしないのです。そこで豊房様のお力が必要とお見受けいたしました」
「全然話が見えてこない。どうして私が?」
「豊房様は、人の心が理解できるからです。私と話せる事が何よりの証拠。この荒んだ世の中でも想像力を忘れずに生きておられます」
「それは……」
言い出して、つかえる。幕府御坊主の家系に生まれ、裕福な暮らしをしていた豊房は、父の後を継ごうともせず、風流毎ばかりに関心を持つ、世間から見れば遊び人のような男だったからだ。食糧は少ないながらも食えぬ程ではなく、民よりも余裕があってこその想像力である事は、豊房も重々承知していた。そこまで厚かましい男でもなかった。
「それで、某は何を?」
「一緒に塵塚の怪の元へ赴き、一緒にこの飢饉の元凶となる妖怪退治に協力するよう、説得してほしいのです」
「某にそんな大役が務まるものか……」
「兎に角、一緒に来ていただけるだけでも構いません。どうかこの世を救う為です。お力をお貸しください」
「この世を救う、か……」
これまでの人生、遊び呆けてきた豊房である。ここにきて、民の苦しみも見るに忍びない。第一、世の中が明るい気分でなければ、風流も、粋である事も、ある意味では酔狂になってしまう。
「某になにができるかは分からぬが、一緒に行くだけという事ならば」
豊房は承諾し、ふみと共に外れの塵塚へと向かった。
(つづく)
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あとがき
久しぶりのあとがきでございます。
お仕事が忙しくて、
更新が遅くなってしまって申し訳ないです。
少しずつ少しずつ、物語が動いてまいりました。
今後しばらくは
塵塚怪王生誕の秘密に迫る
船月堂こと豊房とふみ(そうです。センパイとふみちゃんがモデルです)の
『夢のうちにおもひぬ』と、
現代の千里子とカイが現代妖怪に挑む『本編』が
交互に進行して参ります。
かなり変わった描き方をしますので、
ごっちゃにならないようにと、
あとがきで「そうなりますよ」と言っておく事にした次第ですww
そういう訳ですので、
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
ご感想もお待ちしています!
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『twitter』
https://twitter.com/kyouki_love_sat
『facebook』
http://www.facebook.com/kyoukitakahashi
【改造人間・高橋京希、今回の獲得経験値】
Lv1 肉体力:0(通算9P)
Lv2 精神力:+1(通算30P)
Lv1 容姿力:0(通算6P)
Lv4 知識力:0(通算53P)
Lv2 ヒーロー力:0(通算11P)
Lv5 趣味力:0(通算213P)
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