2016年03月11日

3.11のクオリアを表現する事を僕はあきらめない、の巻。


言葉には、何も力がないと思って、
あきらめそうになってしまう事があります。

本来気持ちとは感じる物で、
例えば、
何かを食べて美味しいと感じた気持ちを、
「美味しい」と口に出してしまった瞬間、
心の中に感じていた美味しいという気持ちは、
「美味しい」という言葉に置き換わってしまうんです。

でも、他の誰かも
それを「美味しい」と呼ぶ事を知っているから、
「美味しい」と僕が言えば、
みんなそれぞれの、自分なりの感性に置き換えて
「嗚呼、美味しかったんだな」と、思ってくれる。

これが、言葉や文字を使って、
相手に何かを伝える事の正体で、
「美味しい」という言葉に置き換わった瞬間、
僕の心の中の感情は、
何か別の「美味しい」という言葉になってしまうんです。

誰かの「美味しい」と自分の「美味しい」は、
違う事かも知れない。

でも皆がそれを共通認識として持っているから、
会話が成立する、気持ちが伝わる、解かってもらえる。

「美味しい」は、
多くの人が感じる事だから、
伝わりやすい。

例え僕の感じた感情を言葉に置き換えただけのものでも、
みんな何かを感じ取ってくれる。

でもね、
複雑な感情であればあるほど、
それは困難を極めちゃう。

あの日、2016年3月11日(から何日か)に僕が体験した事を、
正確に言葉にして、感情を表現しようとしても、
それは無理な事なんです。

くしゃくしゃで、
空っぽで、
暗くて、冷たくて、悲しくて、
温かくて、泣けてきて、
そういう感情が複雑に絡み合って、
混沌としてる。

あの気持ちを言葉にしようとするのは、きっと不可能。

だけどね、僕は思うんです。

伝える事をあきらめちゃダメなんだなって。

伝わらないかも知れないし、
正確じゃなくなっちゃうかも知れない。

それでも、僕はあきらめられない。

何を感じて、
何を体験して、
何に触れて、
何故生きているのかを、
あの日あの時あの場所にいた僕は、伝え続けなければらない。

そう思って、今、生きてます。

願わくば、
誰かの心の哀しみが少しでも癒えますように。

僕は馬鹿な事を書く、
面白い記事を書く、
時々、音沙汰で喋ったりもする。

必要なら、誰かに逢いにも行くよ。
楽しい事を企画したりもする。

震災で被災した人だけじゃなくて、
何かがあってあんまり人生楽しくないって人がいたとしたら、
「そんなにヘビイじゃないよ」って教えてあげたい。

多分、それが自分の考える、
今生きてる理由。

生きてる人の、ひとつひとつの感情を
大事にしたいと、今日は強く思うんです。

僕は欠陥だらけで、
生きてる価値何てなさそうだけど、
あの日幸運にも死ななくて、
今そんな風に思えてるって事は、
そういう事なんだろうって、
勘違いしながら、
今日も明日もこれからも、
自分が好きなことを好きなだけ叫んで、
生きていきます。

感情の総てを文字にする事は不可能だけど、
不可能だからってあきらめたらいけないなって思いながら、
伝わることを信じて、
またそうなるように努力して、
書いていきますね。

そんな訳で、
こちらからは以上です。



こちらは、震災の時の体験を喋った動画です。
ちょっとくだけた内容で今日にはそぐわないかも知れないけど、良かったら。



posted by きょうきりん at 10:20| Comment(0) | 京希の沙汰日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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