8月5日、お昼ぐらいでしたか。
帰省中の弟と『シン・ゴジラ』を観てきました。
ネタバレしますので、
未見の方は、以降、読まないようにお願いいたしますね。
ネタバレが目に入らないように少し行数を稼ぐ為、
幾つかホラを書きます。
いやー、何が良いって主題歌だよね!
「ゴッジラー、ゴッジラー、いかすぞゴジラ! いかすぞゴジラ!」
という耳に残りまくるフレーズは、
中毒性があって、夜布団を被って目をつぶった瞬間にリフレインして、
「嗚呼、ゴジラ、面白かったんだな」って目頭が熱くなったぐらい。
それから、何と言っても、
庵野監督がご自分でゴジラを演じていたのが
個人的には嬉しかったなぁ。
あれはきっと、過去に撮られた
『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』へのオマージュですよね?
無表情で淡々と街を破壊する庵野監督に痺れました!!
ハイッ!!!
もうね、このぐらい間を空けたら良いでしょう。
『シン・ゴジラ』の感想を書きたいと思います。
すぐれた作品は、
過去作へのリスペクトがありながらも、
そのどれをも凌駕するものだと、
僕は常々思うんですね。
映画を観た後、
「これはあの映画と同じだな」
「こういう表現見覚えあるな」
って、大抵の映画を観ると思ってしまうんですが、
勿論、それは仕方がない事だったりするんです。
そういう表現って悪い事ばかりじゃなくて、
安心感だったり、
共感を覚える表現でもあったりする訳だから。
でも、何年かに1度、誰も観た事がない作品が出てくる。
『シン・ゴジラ』はそういう映画。
リアルに怪獣・或いは、現実に存在しない物が、
現実世界に現れたら?
という作品は、主に特撮系で、これまで幾つも制作されてきました。
『仮面ライダークウガ』は、
"未確認生命体"と呼ばれる怪人が1年間、首都を中心に出現し、
それを警察が"クウガ"と共闘して駆除するというお話でした。
少し日本的ファンタジーに偏りますが、同じ制作陣による
前半の『響鬼』も、"魔化魍"と呼ばれる妖怪が日本各地に古来より実在していて、
それを民間の団体"猛士"の身体を鍛えた戦士"鬼"が退治していく、
という物語で、彼らのネットワーク等、出来る限り現実的に描かれていました。
また、評判が良くはないですが、
実は今回の『シン・ゴジラ』は松本人志監督作品の『大日本人』に通じるところがあり、
この作品も、
日本では古来より"獣"と呼ばれる巨大生物が暴れ回るので、
それを退治する為、特異体質の家系で電流を浴びると巨大化し"大日本人"になれる大佐藤大が、
国の依頼を受けて防衛する、という物語でした。
(この作品の後ノルウェーで『トロール・ハンター』という映画が作られ、こちらも国の依頼でトロールを一人管理する男が登場する。『大日本人』と同じモキュメンタリーである)
また、山本弘先生の『MM9』の存在も忘れてはならないだろう。
こちらはもろ、怪獣を自然災害と定義して、国によって正式に、それに対処する部署がある話だ。
斯様に、これまで現実世界に怪獣的な物が現れたら?
という作品は幾つか作られたが、
『クウガ』を除く大半の作品は、
すでに対策が講じられている世界である。
(その点でも、未確認生命体が現れ、それを現在の法律において警察組織が駆除していく過程を描いた『クウガ』の凄まじさはある)
『シン・ゴジラ』は、怪獣が登場した事などない、
今の日本にゴジラが出たら?
を、前半部分は究極的なリアリティを以って描いた類稀な作品なのである。
政治の内幕を描いたような作品のジャンルを
ポリティカル・サスペンスと呼んだりするが、
『シン・ゴジラ』の前半部分は怪獣が登場すること以外はほぼそれに近い。
怪獣が現れる、
という不足の事態に対して、
慌てふためきながらも、
何とか対策を立てていこうとする日本政府の姿が描かれる。
至極個人的な意見かも知れないが、
今回のゴジラは原子力よりも、
地震や津波のメタファーなのではないかと、
東日本大震災を経験した身としては感じてしまった。
第2形態のゴジラが陸へ上がり、
街を破壊する際の、
うねうねと川が逆流して、船が押し流され、
街が破壊されていく様は、少し自分にとっては思い出してしまって視聴が厳しく思えたほどだ。
誰も観た事がない映画、
というのは一つ、
誰もが体験した出来事をも超え、その先にあるものであるとも僕は考える。
これは東日本や、熊本の地震以降に作られた、
紛れもない日本映画なのだと、観ていて痛感する。
とにかく、いろいろな人への目配せが効いた作品なのだ。
政府を応援したい人、批判したい人、
震災を体験した人、遠くから観ていた人、
これまで多くの怪獣映画を観てきた人、
特撮作品を観てきた人、
そして、観てこなかった人、
そうした、総ての人に対して
「何か言いたくなる」作りになっているところが凄い。
『平成ガメラ』が封切られた時、
そのあまりの素晴らしさに、
「じゃあゴジラは?」と思ったものだが、
遂にゴジラはいつもの感じのまま、
ハリウッド映画に持って行かれてしまった。
その点、『シン・ゴジラ』は平成ガメラシリーズよりも更にリアルで、
そのリアルさを極める事で、
ハリウッド映画では絶対に作る事が出来ない日本映画の底力を見せた。
(ちなみに庵野監督は『GAMERA1999』というガメラ制作のドキュメンタリー映画を撮っている)
これまでの特撮映画の集大成みたいなところがありつつも、
それでいてまた、凄いのが、
しっかりと庵野秀明監督作品になっているところが恐ろしい。
庵野監督と言えば『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ等でお馴染みで、
アニメの人、という印象が強いだろうが、
映画ファンとしては、実写作品も中々に捨てがたい魅力を持っている監督さんだと思う。
『エヴァンゲリオン』の後98年に撮られた『ラヴ&ポップ』は、
自意識過剰である女子高生の視点を表現する為、
実際に主演女優の頭に『私を観て』と書かれた張り紙とカメラを付け東京の街中を歩かせたり、
実相寺昭雄監督の影響ともとれる見立てや、
その発展ともとれる、物にカメラを置いて対象物を撮る独特の映像表現など、
商業初監督作品時点から映像作家的感性は鋭いものだった。
多分、アニメや実写というカテゴリーに囚われる事なく、
頭の中にハッキリとしたヴィジョンの観えている方なんだろうなぁと思う。
そもそもエヴァンゲリオンもTV放送当時は、
実写的な視点で描かれた作品と言われていたようにも思う。
そのまま『シン・ゴジラ』を撮るプロモーションビデオになってしまった
『巨神兵東京に現わる 劇場版』も、実写でありながら昔ながらの特撮を駆使した
アニメと実写の中間のような作品だった。
『シン・ゴジラ』においても、
過去に手掛けた実写作品で観られたような表現が用いられ、
更には『エヴァ』で使用された音楽が再使用されるなど、
まるで庵野監督の過去作品を集合させたかのような作品に仕上がっている。
さて、前半部分の素晴らしさについていろいろ書いて来ましたが、
『シン・ゴジラ』は後半、
いつもの怪獣映画になります。
ヤシロギ作戦が発動され、
ゴジラを止める為に凝固剤を投入するのですが、
その作戦内容が、ゴジラの口の中に直接薬を投与する、
という、何かカワイイ展開、
言ってみれば、ちょっと現実的には弊害が多すぎる作戦が行われます。
瓦礫がたくさんあって、車両は通れないのでは?
あまつさえ、在来線爆弾って何よ?
こんな成功率の低そうな作戦に、命をかけるの??
などなど、無理のある展開が続きます。
しかしそれでもなお、
観れてしまうのは、
前半の異常なまでのリアルさと、
そして、
この作戦展開自体が、
日本人の、日本人による、復興をモチーフにしているからに他なりません。
知らず知らずのうちに視聴者は、
日本人特有の感覚における共通認識から、
応援してしまうのです。
奇跡を望んでしまう。
多分ですけど、庵野監督って、普段はこのタイプの人ではないような気がします。
勝手なアレで、申し訳ないですけど。
直接的なきっかけとなった作品『巨神兵東京に現わる 劇場版』を観ても分かる通り、
この人は壊すまでが全力の人のようにも思えるんです。
『シン・ゴジラ』も、
ゴジラが放射線を吐き、東京が壊滅状態になる、
あの絶望、凄まじさ、カタルシス。
何とも言えない迫力があります。
その先に挑戦したという意味でも、
庵野監督にとっては凄い事なんだと思います。
ですがやはり少し、難しかったのかもしれません。
壊滅以降のゴジラとの戦いは、あえて「怪獣映画ってこうだよね」という風にした、と、
見えなくないのです。
そもそも第2形態登場時、突然現れたCGの怪獣は、
わざと着ぐるみっぽいチープさを残していました。
どこかで庵野監督は「これは怪獣映画だよ」と言いたかったのかも知れません。
これはもしかすると、
庵野監督の「照れ」のようなものかも知れません。
もうだってこの映画、こんな風に後半茶化してる部分はあるけど、
ものすごくストレートな「日本頑張ろう!」っていう映画なんですもの。
(『破』が振り切れ過ぎて、その後体調を崩されたとも聞いているので、今回傑作になりすぎないよう無意識に防衛反応が出た可能性もあるかも知れません)
『シン・ゴジラ』はそういう、
なんかいろいろ詰まった凄い映画でした。
僕がこの映画で最も好きなシーンは、
作戦が成功した後のリアクションです。
ハリウッド映画、いや、並の日本映画なら、
全員スタンディングでガッツポーズとったり、
叫んだりしそうですが、
皆「ほっ」として、静かに成功を労う。
あのシーンにこの映画の本質が描かれてると思います。
好きなシーンは他にもあって、
第2形態がバーンと初登場するところ。
あそこで思わず「かわいい!」って声が出ちゃったんですけど(笑
世間的には気持ち悪い、みたいですね。弟もそう言ってました。
かわいいと思うけどなぁ、あれ。
後、高橋一生さんが大発見して、大声上げてくるくるするところ。
あそこも、普通それまでの演出なら、監督注意しそうなものですけど、
そのままオッケーしてて、懐の深さを思い知りました。
後、目配せという意味では、
今回ゴジラが初登場した2016年という架空日本のお話でしたが、
その発端がある科学者の妻への愛情だったところが、
実は初代『ゴジラ』は、芹沢博士の恋愛映画なのではないかと思っている自分にとって、
とにかく共感できるところでした。
ここは本当に凄いなぁと。
まぁ細かく書いたらキリがない映画です。
情報量が多いですからね。出演者も。
最後まとめ。
僕はこの映画を「手」の映画だと感じました。
何故第2形態のゴジラに手はなく、
最終的なゴジラの手も、小さく、使用できるのかすら分からないような代物なのでしょう?
それは当然、ゴジラが
人間の進化とは違う種類の生物である事を
ビジュアル的に表現している訳ですが、
同時に、今回人間側が文字通り手を取り合って
ゴジラという難関に立ち向かう事への暗喩であると考えられます。
『シン・ゴジラ』は主要となる人物はいますが、
一人だけが活躍するヒロイックな映画ではなく、
日本人という群像が困難に立ち向かっていく映画です。
(主人公も自分の代わりはいると公言する)
今回ゴジラに勝てたのは、他でもない。
人間たちが手を組んだからに違いありません。
さてそこで、
ラストカットを思い出してください。
凝固剤で固まったゴジラの尻尾の先、
ゴジラは単体でも増える事を予想されていましたが、
その先は何やら、小さな歯や手のような物が集まっています。
今回のゴジラはあんなに手を使わなかったのに、
何故小さなゴジラたちには手のような物が、
あんなに目立つように映し出されているのでしょう。
それは、次にゴジラが目覚めた時、
彼らはより進化して、
今回ゴジラが敗れた直接の理由である、
『協力する事』を覚えた、より人間に近い存在になっている可能性がある、
という事を示しているのではないでしょうか?
それは凄まじい絶望の様でもあり、
また、庵野監督なりの、
また何かあるかも知れないから気を抜いちゃいけないよね、
という、虚構から現実へのメッセージなのかも知れません。
そんな訳で、
こちらからは以上です。
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